デス・オーバチュア
第274話(エピローグ3)「不要のクロシングポイント」



氷の大陸全域を支配するガルディアの皇城。
「…………」
女皇イリーナは泉のように広い浴槽に浸かっていた。
普通の王族や貴族なら、湯浴みにも侍女などが同伴するものだが、イリーナは常に一人で湯浴みする。
湯浴みだけでなく、着替えなども自分一人で行い、極力他人を傍に寄せつけないようにしていた。
「…………」
イリーナは無言で立ち上がると、脱衣所へ向かって歩き出す。
「…………」
辿り着いた脱衣所には大きな姿見(全身を映す鏡)があり、髪を下ろしたイリーナの姿が映し出されていた。
「……お姉さま……」
イリーナは倒れ込むようにして鏡に両手をつける。
鏡に映るイリーナの姿は、姉であるリーヴにそっくりだった。
少し若返った、ちょっと小さくなったリーヴといった感じである。
「…………」
ただ、一カ所だけ、彼女の体には姉と……いや、普通の人間とは異なる部分があった。
「……わたしは女として『不完全』なわけじゃない……人……神人として『完全』過ぎただけ……」
イリーナの両手の指が鏡に食い込み、鏡全体に亀裂が走る。
「究極の生命体(アルティミット・シイング)……生物の頂点に君臨するもの……それがわたしよ!」
振り返ったイリーナの背後で、姿見が粉々に砕け散った。



一羽の赤い『鴉』が、窓から城の中へと侵入した。
鴉は床に降り立つなり、人の姿へと転じる。
深紅のチェニックを纏った赤紫の長髪と瞳をした少女……リーヴに死の宣告をした女神バウヴだった。
この前と違い、彼女の背には血のように赤く暗い天使(鳥型)の翼が生えている。
「……モリガン……居るんでしょう……?」
パウヴは掠れるような小声で呟いた。
仮にこの場に誰か居たとしてもまず聞き取れないであろう、とても小さな囁き。
だが、その囁きに応えるように、錫杖の音が鳴った。
「…………」
音のした方に視線を向けると、柱の影から一人の女が姿を現す。
年は二十歳ぐらい、灰色金髪(アッシュブロンド)を膝元まで伸ばし、瞳は血のように赤く暗い輝きを放っていた。
胸元を強調するような淡い紫色のビスチェドレスは、長い裾の両脇に深いスリットが入っている。
両腕にはドレスと同じ色のロンググラブ(中指だけを引っかけるタイプ)、二の腕(肩と肘の間)と中指に白金の腕輪と指輪がそれぞれ填められていた。
さらに、頭部の左右には頭冠(サークレット)のような髪飾りが、首には豪奢な首飾り(ネックレス)が彩られている。
背中の灰色のマントは、厳密には体に触れておらず、彼女を包むように独りでに浮いていた。
「……珍しいことですね、バウヴ……貴方が表に出ているとは……」
戦場の鴉(バウヴ・カハ)の長姉モリガン(ウルド・ウルズ)は、右手に持った錫杖の柄先を再び床に叩きつけ、心地よい金属音を響かせる。
「それはお互い様よ、大いなる女王(モリガン)……この世界で『その姿』を取るのは初めてじゃなくて……?」
バウヴは少し皮肉げな微笑を浮かべた。
「……英雄(いい男)がいないのに『着飾って』も仕方ないですから……」
それに対して、モリガンは顔色一つ変えずにこう答える。
普段の子供の姿は『ウルド・ウルズ(運命を司る女神)』としての一面が強く表に出た姿であり、今の魔女のような色気溢れた大人の姿こそが、『モリガン(死と戦いの女神)』としての真の姿だった。
「身も蓋もない答えね……」
「明瞭かつ簡潔な答えと言って欲しいですね」
モリガンは冷静(クール)な態度を決して崩さない。
「まあいいわ……じゃあ、ここにならあなたが、勝利を約束し(一夜を過ごし)たい相手がいるの……?」
一夜を過ごした英雄(男)に勝利(加護)を授ける……それがモリガンの女神(女)としての性(サガ)だ。
その奔放な性ゆえに、潔癖や貞淑を美徳とする人々には魔女や邪悪の女神と罵られ、ルーファスに淫乱症(ニンフォマニア)呼ばわりされることとなる。
「ノーコメントです」
モリガンはしれっとした顔でそう答えると、背中……正確には背中とマントの間に左手を隠した。
「ん……?」
「そこっ!」
背中から引き抜かれた左手から黄色い小槍が放たれ、バウヴの右頬を掠めて、背後の壁に突き刺さる。
「…………」
「……逃がしましたか……」
モリガンが右手を伸ばすと、小槍が独りでに壁から抜け、吸い寄せられるようにして彼女の手に握られた。
「最近、文字通り何かが『暗躍』しているようなのですが……」
一度モリガンの背中に小槍が隠されたかと思うと、一振りの錫杖となって再び姿を見せる。
仕込み杖ならぬ仕込み錫杖、モリガン愛用の二振りの錫杖は、破魔の槍ガ・ジャルグと不治の槍ガ・ホーが元になっていた。
「わたくしでも正確に認識できず……占うこともできないのです……」
二振りの錫杖はモリガンの背中とマントとの『隙間』に消える。
「星(運命)の存在しない者?……そんな存在が居るはずないのですが……」
「…………」
「……どうしました、バウヴ?」
「血……血……ふっふっふっ……私の血が止まらないよ……」
「変わってましたか……あ、今止めてあげますから、そんな乱暴に手で拭わない!」
「ふっふっふっ……」
パウヴはいつの間にか鮮血の女神(マハ)へと入れ替わり、頬から休むことなく流れ続ける血で真っ赤に染まった右手を、ウットリとした表情で見つめていた。



「…………」
ネツァク・ハニエルの姿はガルディア城の中庭にあった。
そこに土はなく地面は全て氷でできている。
にも関わらず、そこは確かに庭……庭園だった。
氷から直接、青い薔薇が大量に生え、花壇の外観を成しているのである。
一言で言うなら、ガルディア城の中庭は『氷の花園』だった。
「……青い薔薇……『ありえない物』……か……」
ネツァクは一輪の青い薔薇を左手でそっと撫でる。
「だが、これだけ数があると何の有り難みもない……」
ファントムの薔薇園にも青い薔薇は存在していたが、ここまでの量は無かったし、何より氷から生えるような非常識な花ではなかった。
「無価値だな」
突然聞こえてきた見知らぬ声。
「なっ……」
いつの間にか、ネツァクの隣に一人の男が立っていた。
金髪赤眼の美青年……着ているのは神父や牧師のような衣装だが、その色は黒や紺といった地味なものではなく、血のように真っ赤な色をしている。
「誰だ、貴様……?」
「通りすがりの聖職者」
派手な衣装、端麗な顔つき、美しい声……にも関わらず、この青年は恐ろしく存在感が希薄だった。
「…………」
ネツァクは魔性の輝きを放つ紫の瞳で、男の本質を『見通そう』とする。
「フッ、怖い瞳だ……だが、それ故に、こんな薔薇とは比べ物にならない価値がある」
青年は、射抜くようなネツァクの視線を、天使のように穏やかで優雅な笑顔で受け流した。
「ベリアル」
冷たく凛とした少女の声。
「馬鹿な……」
ネツァクは、青年の時と同じく、声が発生するまで、その存在にまったく気づけなかった。
黒い修道女(シスター)。
ヴェール、ケープ、袖口といった本来は白いはずの部分までが黒い、黒一色の修道服を着た少女がネツァクと青年の後方に佇んでいた。
黒一色と言っても、本体であるワンピースの黒さに比べると、白いはずの部分は少し薄い黒でできている。
両足の付け根のすぐした辺りから正面に深いスリットが入っており、そこから覗く両足と、両腕の袖から先は、厚手の黒布(タイツ)で覆われていた。
早い話、首から下は真っ黒で一切露出がないのである。
その首から上の部分も、大きくて長いヴェールを深々と被っているため、口元ぐらいしか顔は見えなかった。
「…………」
黒い修道女は、青年……赤い神父以上に存在感がない。
目の前に立っている今ですら、まるで幽鬼や幻影のように背後が透けて見えそうだった。
「くっ……」
ネツァクは剣の柄に右手を添え、いつでも抜刀できるような警戒態勢を取る。
黒い修道女は存在感は皆無だが、妙な不気味さ……得体の知れない恐怖をネツァクに感じさせていた。
「うっ!?」
すっと薄れるように黒い修道女が消えた直後、ポンッと背後から肩を叩かれる。
「警戒しなくてもいいわ……あなたには興味も用もないから……」
凛とした静かな声がネツァクの耳元で囁いた。
「っ……」
黒い修道女の右手がネツァクの左肩を『押さえつけて』いる。
押さえつけているといっても、本当に軽く右手を添えているだけ……にも関わらず、ネツァクは見えない圧力のようなもので完全に動きを封じられていた。
「く……くぅぅぅ……」
「無理はしない方がいいわ。あなたの体(本能)は私への恐怖で完全に屈服している……」
「恐怖……だと……?」
では、自分は何かの『力』で動きを封じられているのではなく、この得体の知れない修道女にびびって硬直しているというのか?
「そ……そんなこと……認められる……かああああっ!」
ネツァクは力ずくで恐怖の『呪縛』を断ち切ると、抜刀し、その勢いで回転斬りを黒い修道女の胴体へ叩き込んだ。
だが、紫光を放つ剣刃は修道女の胴体ではなく虚空を薙ぎ払う。
「恐怖に打ち勝つ強靱な精神……少しあなたを侮っていたようね、紫煌の魔剣士さん?」
黒い修道女の姿は遙か上空にあった。
紫光の剣刃が届く寸前に、空高く跳び上がったのである。
「ベリアル! 私が彼女を叩き伏せたても『大丈夫』だと思う?」
「まあ、『誤差』の範囲だろう。彼女の未来を決定的に変えることには……多分ならないはずだ」
「多分ね……不安な答えをありがとう……セブンチェンジャー!」
黒い修道女が天に翳した左手の上に、光り輝く赤い瞳がいくつも開眼した。
「何っ!?」
いや、違う、赤い瞳ではなく赤い宝石……柄に七つの赤石が直列に埋め込まれた漆黒の大鎌が修道女の左手に握られていたのである。
「つぅぅ……紫煌の……」
ネツァクは即座に魔力を爆発的に高め、剣へと集束させていった。
「Leviathan」
大鎌の刃が跳ね上がり、柄が180度回転し、漆黒の大鎌は漆黒の薙刀へと変形する。
「……終焉!」
振り下ろされた剣刃から、膨大な紫煌の閃光が黒い修道女に向かって解き放たれた。
「裂っ!」
黒い修道女は、迫る紫煌の閃光に自ら飛び込むように急降下し、漆黒の薙刀を振り下ろす。
次の瞬間、広大な紫煌の閃光(天の川)が真っ二つに引き裂かれた。
「ば、馬鹿な……」
「気に病むことはないわ……所詮、相性の問題だから……」
ネツァクの目の前に黒い修道女が降り立っている。
紫煌の終焉によって黒い修道女が受けた損害は、頭のヴェールが吹き飛んで素顔を晒している……ただそれだけだった。
傷一つ負っておらず、消耗した様子も欠片もない。
「それと、武器の差ね……」
黒い修道女がネツァクに背中を向けた瞬間、紫水晶の剣は粉々に砕け散った。



「いいのか、エレクトラ?」
赤い神父ベリアルが、拾ってきたヴェールを差し出しながら、黒い修道女エレクトラに尋ねる。
「何が……?」
エレクトラはヴェールを受け取ると、再び頭から深々と被った。
「彼女はスターメイカーに敗れて、自らの武器の限界を知る……それが正しい『流れ』だ」
「いまさらそれを言うの? 元はと言えばあなたが不用意に姿を見せたのが原因だというのに……」
「半端に威圧して、彼女に牙を剥かせたのは君だ」
「威圧して黙らせるのは、この世でもっとも平和的な解決法よ……」
「完全に相手を屈服させられればな……だが、君は失敗した。彼女を侮り、手を抜きすぎた……いや、この場合は気を抜きすぎたというべきか?」
ベリアルはやれやれといった感じで肩を竦めてみせる。
「……元々の元凶のくせに、ひとの対処法の失敗ばかりをねちねちと……」
「まったく、これが原因で彼女の運命が大きく狂ったら、君はどうやって責任をとるつもりだ?」
「ちょっと!? あなた、多分大丈夫って保証したじゃない……!」
「ああ、確かに私は言った、『多分』と……多分とは確率が高いだけで、確定ではない……つもり、保証はしていない」
「このペテン師……」
エレクトラは悔しげに唇を歪めた。
「……だいたい、剣を打ち砕いたのが私でもスターメイカーでも、彼女が限界を知り、新しい剣を求める……その流れさえ変わらなければ問題はない……違う?」
「その通りだ。この程度の誤差なら、すぐに修正されることだろう。だが……」
ベリアルはそこで言葉を区切り、重苦しい表情で沈黙した。
「だが何? 言いたいことがあるならはっきり言ったらどう……?」
エレクトラは、態とらしくて遠回しなベリアルの態度に、苛立ちを隠しきれずにいる。
「つまり……」
「つまり? んっ!」
ベリアルとエレクトラは突然、反対の方向に飛び離れた。
二人が立っていた中間の大地に、真っ白な騎兵槍(ランス)が突き刺さる。
「つまり、こうなるわけだ。僅かなズレが、より大きなズレを引き寄せる……」
「なるほど……ね……」
「何やら楽しそうですね。私も混ぜていただけませんか?」
姿を現したのは、真っ白な騎兵槍の持ち主……スターメイカーことシリウス・ホワイトノイズだった。












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一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。



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